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初歩から学ぶ英語会話

http://www.m-and-h.com/のブログとポッドキャスト記事:学びながら英語のコミュニケーション能力とは何か考えていきます

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2ch 情報流出に見る大学の広告戦略

今日は、英語教育とは少し離れた話題から入りたいと思います。

先月末に、2ちゃんねる「有料会員」データ流出のニュースが流れ、インターネット上では大騒ぎになりました。流出したデータにより、政府機関、マスコミ、大手企業、大学などが、2ちゃんねるに書き込みをして、世論操作をしていたことがわかったからです。下記のブログに騒ぎの様子が残っています。
【とある国家の機構崩壊】
掲示板データ流出で判明した政府とマスコミの世論操作!

【simatyan2のブログ】
掲示板データ流出で判明した政府とマスコミの世論操作!

【ベジ漫画Natsumiのビーガン日和】
2ちゃんねる個人情報流出により、政府や大手マスコミが個人を装い世論操作していたことが判明★


どの機関が、どういう書き込みをしていたのか、さらに詳しい続報を待っていたのですが、ニュースがマスコミに大きく扱われることはなく、Yahooなどのニュースサイトからは既に削除された模様です。

上記のブログで指摘されているように、政府関係者が、ネットウヨになりすまして、特定の党に肩入れしたり、ある政治家を絶賛したりしていたとすれば、その罪の大きさは言うまでもありません。その真相を暴くべきマスコミも同様の世論誘導をしていたようですから話になりません。ここでは、上記のブログに触れられていない大学の書き込みについて、どのようなものが考えられるか推測してみます。

simatyan2のブログ】によれば、個人を装って、2ちゃんねるに有料の書き込みしていた大学は以下の通りです。
◆学校
旧帝大(九州大除く) 一橋 東工大 東外大 東京医科歯科大
東北大 東洋大 信州大 神奈川大 千葉大 群馬大 琉球大
早稲田 上智 法政 関西学院 立命館 北陸先端科学技術大学院 
韓国慶北大学 コロンビア大学 マサチューセッツ工科大学 
イェール大学 フロリダ大学 シドニー大学 ポートランド州大学 
カリフォルニア大学 ジョンホプキンス大学

大学の2ちゃんねるへの書き込みと聞いて、私がまず思い出したのは、学歴ネタ@2ch掲示板です。大学卒業時に就職できなかったり、就職してもすぐに辞めてフリーターになったりして、暇を持て余す同級生たちが出身校自慢を繰り広げているらしいと某大学の卒業生から聞いたことがあったからです。確かに板の中は、一流校の自慢話やら、名門校の自慢対決やらで溢れかえっています。読むと、出身校のプライドにしか、しがみつくものがないのかと思われるような書き込みもあり、悲しささえ感じます。

ところが今、2ちゃんねる個人情報流出によって、それらの書き込みの中に大学関係者のものが含まれている可能性が浮上したわけです。大学関係者が若者を装って、それらの書き込みをした疑いは、かなり濃厚だと私は考えます。なぜなら少子化の中、志願者集めに、日本の大学の多くが予備校、新聞、その他ありとあらゆる手段を使って、宣伝に精を出しているからです。コンビニの店内の広告メディアを利用する大学もあれば、話題を作ってはコネのある放送局に取り上げてもらうように要請する学校法人もあります。

そうした大学が、志願者を集めるためにネットを利用しないはずがありません。大学経営陣の間だけでなく、教育陣の中でさえ、「大学の生き残り戦略」として「大学名のブランド化」が語られる今日です。大学関係者が2ちゃんねるに有料で書き込みをして「大学名のブランド化」というイメージ戦略を実行したとしても不思議ではありません。

一方、フルブライトのHPによれば、アメリカに留学する日本人の数は、近年、減少しています。特に大学院や有名校への留学者数が著しく減り、留学者全体数における「学位取得を目指さない留学生」の割合が増えています。そうした事情を考慮すれば、学位取得を目指す日本人留学生を呼び戻すべく、アメリカの大学が2ちゃんねるで名門校イメージを振りまいていることは容易に想像できます。

余談になりますが、日本企業が留学を「ご褒美」として社員に与えていた時代が、かつてありました。その頃、アイビー・リーグ某ビジネススクールでMBAを目指すおじ様方の実態は、しばしば授業をさぼってゴルフに出かけ、日本語で準備された試験を受けているというものでした。試験問題を日本語に翻訳するバイトを、ビジネススクールから依頼された人に直接、聞いた話です。

卒業が難しいと言われるアメリカの大学で、そんなことが可能だろうかと思われるかもしれませんが、ボンクラで有名な、あのジョージ・ブッシュ・ジュニアでさえ、イェール大卒です。名門大学の学位をお金で手に入れる人たちが、アメリカに存在するのは事実です。「日本人のおじ様方」に関しても、おそらく、日本企業からの寄付金さえ受け取ることができるなら、それでよいという大学側の判断だったのでしょう。日本のバブル崩壊後、時をしばらく経てからの話だったので、社員に「ご褒美」を大盤振る舞いする日本企業の余裕に、当時の私は感心したものです。そうした「ご褒美」の費用が無駄な経費として削られたことも、留学生減少の一因だと思われます。

さて、上記大学の2ちゃんねる有料書き込みは、広告費の一部にすぎないということを忘れてはなりません。また、イメージ戦略の一環として、キャンパス整備や校舎建築などの箱もの事業がついていることが多々あります。寄付が少ない日本の大学では、入学金と授業料、それに政府からの補助金が収入の大半を占めます。そうした大学は、授業料や税金などから、広告費や建築費を捻出していることになります。当然のことながら、それらの費用の割合が増すほど、研究や教育に掛けるお金を削らざるを得ません。ですから、入学後に受ける教育の中身について受験生が賢く検討しなければ、創り出されたイメージに騙されて大学を選ぶことになりかねません。

大学が教育内容に掛けるお金の乏しさは、語学の授業の質にも現れています。大学レベルの語学教育は、ひとクラスあたり10名前後の少人数で行われるのが先進国の標準だと思われますが、日本では、30人、ときには50人もの学生が「英会話」のクラスにいることが珍しくありません。30〜50人の学生がひとりの先生と対話するのには無理があります。50人のうちのひとりが発言する時間は、一回の授業で何分間あるでしょう? これでは学生の側も、やる気が出ません。

少子化が進む中、どの大学であっても存亡の危機に直面していると言って過言ではありません。こうした状況のもと、なりふり構わないイメージ戦略で学生を集める大学ほど生き残ってゆくとすれば、人の力が低下し、それと同時に日本の国力も低下していくことでしょう。おそらく、既に人の力が低下したからこそ、今日の社会、すなわち政官財学マスコミと、どこを見ても腐った世の中になってしまったのではないでしょうか。それでもなお、現状より見込みのある社会へと改善を目指すなら、イメージに惑わされず質を見抜く見識が、受験生ばかりでなく、社会全体に要求されると言えるでしょう。

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Part 5 の はじめにあたり

 「日本人特有の完璧主義が英語を喋るのを妨げている」と言われることがあります。完璧主義に捕われるあまり、間違いを恐れて英語が話せないというのです。果たして、そうでしょうか? 英語を話すための準備ができていない、すなわち、準備が不足しているから言葉が出てこないだけなのではないでしょうか?

 外国語を話そうとするとき、言葉がなかなか出てこないのは、皆同じです。自分が言いたいことを表現するのに、この言葉を使っていいものかどうか迷ったり、間違えているのではないかと不安に駆られたりするのは、外国語学習者なら世界中、誰もが経験することで、日本人特有のものではありません。その不安が少しでも和らぐように、言葉を覚え、覚えた言葉を使って予行練習をする場が外国語の授業なのです。ところが、学校での授業が本来の役目を果たしていないので、予行練習が十分にできず、その結果、ものすごく大きい不安を抱えたまま本番に突入し、頭の中が真っ白な状態で話さなければならないところに追い込まれるのです。

 学校教育以外の学習環境においても、日本は英語を話す機会がとても少ない国です。外国語に接する機会がほとんどない国だと言っても過言ではないでしょう。たとえば、他国に征服され母国語を話すことを禁じられた歴史を持つ国には、複数の公用語があります。それは歴史的には不幸なことだったのでしょうが、外国語を話すということだけに焦点を当てると利点をもたらしたと言えます。なぜなら、複数の公用語があれば、母国語以外の言語に触れる機会が多くなりますし、公用語の中に英語があれば、当然のことながら多くの人が英語を話せるようになるからです。また、多民族国家や海外資本を多く取り入れる国では、外国語に触れる機会が断然多くなります。複数の公用語を持つ多民族国家では、人々が母国語以外の言語に日常的に触れながら生活していますし、海外資本を多く受け入れる国では、多くの人が外国語を使って仕事をしています。そういうわけで多くの国では、外国語を学ばなければならない環境にあったり、何らかの形で母国語以外の言語に触れる機会があったりします。ところが、日本に住む限り、そうした環境もなければ外国語に触れる機会もありません。ある意味、日本はラッキーな国なのかもしれませんが、その運の良さが、外国語の学習環境としては災いになっているのだろうと思います。

 そうした学習環境の悪さを補うのが学校の英語教育であるべきだと思いますが、日本の英語教育は、批判されながらも、その学習環境が改善されたとは言い難い状況がずっと続いています。中学・高等学校の教科書には、日常生活に必要だと思われる口語表現が多く欠けていますし、実際のこの状況でこんな表現を使うだろうかと首をかしげたくなるような失礼な表現や不自然な表現が多々見受けられます。さらに、教科書を読み上げる英語音声は、ゆっくりすぎて不自然です。こんな不自然な英語の音声に慣れてしまったら、ナチュラルスピードの英語を聞き取るのが、かえって難しくなるだろうと思わざるをえません。中学・高校の先生方は、そういう教科書を使って、しかもマニュアル通りに教えるわけですから、その教育の成果は推して知るべしということになります。この悪状況を私は「英語学習の回り道」と呼んでいます。小学校に外国語教育が取り入れられた現在では、実を結ぶ可能性の低い語学教育が小学生にまで及んでしまい、「回り道」はますます長く複雑になってしまったのです。

 結局のところ、中学の英語教育は高校入試に、高校の英語教育は大学入試に標準が合わせてあり、日本式英語テストにすぎないそれらの入試は、語学力を計っているとは言えません。また、本来ならば近い将来、仕事で英語を使う見込みのある大学生こそ英語を話す練習が必要なのですが、日本の大学生の多くは学びに対するモチベーションが低く、語学学習などという地味なことを好みません。その上、英語を使って仕事ができるレベルの英語教育プログラムを準備している大学が、どの程度あるかを考えると日本の英語教育にはますます期待が持てなくなってしまいます。海外に進出する企業が英語を話せる人材確保に苦労している現状から見ると、英語教育の充実した大学の数は、きわめて少ない状況だろうと思われるからです。

 日本の学校教育を受けるだけでは、英語を話せるようになれないのは当然の結果です。これは「日本特有の不完全きわまりない英語教育が、英語を喋るのを妨げている」と言ってもよい状況ではないでしょうか。こうした現状は改善されなければなりません。比較的短い時間でできる改善といえば、まず、中学、高校の教科書を音声教材も含めて大幅に改善、改訂することです。それから、将来の必要に応じて学生を育てあげるような英語教育プログラムを大学に設けることだと思います。実践力を一番効率的に養えるのは、年少者への教育ではなく、社会に出る直前の学生に対する教育です。仕事に通用するような話し方が、母国語ではいつ頃身につくのかを考えれば、そのことが理解できると思います。 人によっては、アルバイト先でのマニュアルを覚える頃かもしれませんが、最終的には就職活動を目前にして面接の練習をする頃なのではないでしょうか。自分の将来の必要性を自覚するからこそ、比較的短時間で社会人としての話し方が身につくのです。

 日本の英語教育が非効率である一番の原因は、真に必要としているわけではない多くの人に英語学習を押しつけているところにあります。本当は必要ないのに、英語が話せないとこれからの時代を生きていけないかのような情報が、まるでプロパガンダのように大量に流されています。そうすると、多くの人がそうかもしれないと思い始め、英語を勉強しなければと焦り始めます。しかし、勉強してみたところで、実際に使う機会がなければ、英語はなかなか身につきません。プロパガンダの真の目的は英語教材の販売であったり、英会話学校の生徒集めであったりするのではないかと私は見ています。小学校への外国語教育の導入にも、それに似たような商業的目的が隠されているのではないでしょうか。語学教育改革と称して小学校に不完全な外国語教育を導入したところで、小学生には一利無し、納税者にとっては税金の無駄使いです。将来的に英語が必要になる人を見いだし、それらの人々を着実に育て上げる教育こそが望まれるべきではないでしょうか。

 すでに「回り道」しているけれど、これから仕事のために英語を話さなければならなず、学習中という人もいるはずです。英語を話そうとしても、なかなか言葉が出てこない状況を何とか抜け出したいと願っている人もいるでしょう。そういう人にもっとも効果的なのは、就職面接に備えるための練習と同じような、話す訓練です。まず、話すのに必要な言葉を、ナチュラルスピードの音声を聞きながら真似て、声に出して言いながら覚えましょう。言葉につまったときの音 “Uh, ...” とか、考える間をとるときの “Let me see ... ” などの表現も使う練習をしておくと役に立ちます。また、自分が会話している状況を思い浮かべながら話すというイメージトレーニングはとても効果的です。もしも英語で話してくれる相手がいるなら、実践トレーニングを積んでおきましょう。「備え」は自信につながるので、万全を期すように心がけましょう。ただ、どんなに練習しても実際の面接試験で緊張するのと同じように、改まって話すときには誰もが緊張します。ましてや母国語ではなく、外国語を話さなければならない場面では、その経験が浅ければ浅いほど、緊張するものなのです。緊張しながらも、ときには間違いながらも実践を積み重ね、話す経験を積んでいくことこそが外国語の上達する道です。実践の場があるからこそ、そこに向けての予行練習、すなわち英語学習が必要になり、かつ重要性を帯びてくるのです。

Part3 の はじめに

 「英文法が苦手なんですけど、英語を話すのは無理でしょうか?」と聞かれることがあります。そういう質問をする人の多くは、関係代名詞が理解できなかったとか、試験の出来が悪かったというような体験を過去に持っていて、それが苦手意識につながっているようです。ところが、そのような過去の体験を持っているにもかかわらず、大人になってから英語を学び直して話せるようになった人はいますし、それどころか仕事で英語を使っている人の中には、社会に出てから英語が必要になり、学び直した人の方が多いような印象を受けます。また、英文法の試験で高得点を取る人が必ずしも上手く話せるわけでもなければ書けるわけでもないということは、いったい何を意味するのでしょうか。こうした事実に突き当たると、何のために文法を勉強するのだろうかと改めて考させられます。

 母国語は文法を知っているから話せるのではありません。文法を学ばなくても母国語は自然に話せるようになります。外国語も母国語と同じように自然に話せるようになれば楽だろうと思うのですが、そういうわけにゆきません。外国語を使う機会を母国語と同程度に増やせたら、自然に話せるようになるのかもしれません。ところが外国語を学ぶ頃には、他人とコミュニケーションをとるときにはもちろん、ひとりで考えごとをするときでさえ母国語で考えるようになっています。母国語の思考回路ができ上がっていて、外国語を使う機会を容易に増やせない状態です。そういう状態の中、外国語を使う機会を作り出して練習していくわけですから、外国語を学ぶのにかけられる時間は母国語にかけてきた時間に到底、及びません。それに加え、外国語は学ぶ必要を心から感じさせるものではありません。たいていの場合は母国語だけで十分生きていけるという甘えがどこかにあって、外国語を学ぶことに必死になれません。時間をかけられないし、既存の思考回路が邪魔するし、母国語に頼れば何とかなるという甘えがどこかにある中、外国語を学ぶには、努力して時間を割き、意識して取り組まなければなりません。

 外国語の学びに意識的に取り組むために、学ぶ対象を明確にしようとして言語構造を分析した結果、発見された規則性を文法と呼ぶようになり、そして文法を学びに活用するようになりました。規則ごとに表現をパターン化すると覚えやすくなり、表現ひとつひとつをバラバラに覚えるより、整理して系統的に覚える方が学習時間を短縮できます。また、ひとつのパターンに新しく学んだ語彙を当てはめるというやり方で、何通りもの表現を作れるので、表現力を豊かにすることもできます。文法を利用して表現をパターン化することで、外国語の学びにかける時間を短縮しようというわけです。

 さらに、文法を学ぶと外国語表現の間違いに気づくようになる効果があることもわかってきました。外国語を話すときは、どうしても間違う頻度が高くなってしまいます。母国語を話すときに間違うことなどないような気がしますが、間違った言葉が口をついて出てくることは誰にでもあります。するとたいてい、変なことを言ってしまったと気づき、言い直します。普通はこう言うべきだという基準がはっきりしているので、基準から外れると変だと気づくのです。それは頻繁に使う母国語だからこそ、はっきりした基準が持てるのですが、外国語の場合、かなり上達しなければそうした基準を持つには至りません。よほど言葉を使い込まないことには、普通はこう言うものだと断定できる領域に到達しないのです。そこで文法のルールに照らし合わせて、ルールに合わないから間違いだとか、学んだパターンと違うから誤りだと判断できるように、文法を学びながら、その文法パターンの文例を暗記するわけです。

 そうしたことを繰り返すうちに、学んだルールやパターンに合致しないと間違ってしまったと気づくようになります。さらにその誤りを正して言い直せるようになると、外国語を話す力はそれ以前に比べて急速に伸びるということがわかっています。一般的に、外国語を学び始めたばかりの初心者は自分の間違いにめったに気づきません。ところが、文法的ルールやパターンを意識しながら表現を覚え、覚えた表現を使って話す練習をするうちに、自分で自分の間違いに気づくようになります。このレベルに達して初めて、文法的ルールを運用できるようになったと言えます。そして次の段階、すなわち、話しながら自分の間違いを自分で訂正できるレベルに達すると、外国語を話す力は飛躍的に伸び始めるのです。

 文法が役に立つのは話すときだけではありません。書き言葉でも、文法は重要です。話し言葉と書き言葉では文法のルール自体が若干異なる部分がありますが、自分の書いた外国語の文章を読み直し、間違いを訂正するには文法の知識が必要だという点は、話し言葉と変わりありません。また、外国語の文章を正確に読むのにも文法の力が必要です。こうしたことから、文法が外国語の学びに欠かせないことがわかります。

 「英文法が苦手なんですけど、英語を話すのは無理でしょうか?」と尋ねる人が気にしているのは試験の出来不出来であることが多く、文法を運用する力ではありません。学校の授業では、ひとクラスの人数が多ければ多いほど、生徒ひとりあたりの話す練習にかけられる時間は短くならざるをえません。授業中に文法事項を理解できたとしても、その文法のパターンを活用して文を作り、そのパターンの表現を自分の言葉として使って話す練習に、どのくらい時間を割けるでしょうか。学んだパターンを活用して表現を作れるかどうか、その表現を使って話せるかどうか、誰かに話して確認する時間はどのぐらいあるでしょうか。授業中に英作文をするように指示されることはあるかもしれませんが、たいていは指名された生徒が英訳したあとに模範解答が示され、それで終わりなのではないでしょうか。そして、文法問題が出題されたペーパーテストでルールを理解しているかどうかが試されるのです。文法問題に正解できたというだけでは、学んだルールを話す際に運用できるのかわかりませんし、それができない限り、話す力が上達することは望めません。話す力の上達に必要なのは話す練習であり、文法を運用する力なのです。

 試験ができたとか、できなかったという過去の経験は忘れて構わないと思います。英語を学び直したいと本当に願うなら、一から全てやり直す覚悟で始められるはずです。英語を学び直すうちに、学校で習った文法事項を思い出すこともあれば、今まで知らなかった文法的ルールやパターンに出会うこともあるでしょう。どちらにしても、話す力を伸ばしたいのなら、それぞれの文法的ルールが、どういうように活かされてこの表現になるのだとパターンを確認しながら、その表現を覚えるように心がけてください。人によっては文法の説明を理解するのが苦手で、理解できない文法事項があるかもしれません。それぞれの文法項目は理解できるに越したことはありませんが、理解できないからと言って諦める必要はありません。たとえ理解できなくても、その文法のパターンを使った文例をいくつかまとめて覚えるようにしましょう。そして覚えた表現を使って話してみましょう。覚えた表現を使って話す練習を繰り返すうちに、自分の間違いに気づくようになったと感じられるなら、それは進歩だと言えます。間違った瞬間に言い直せるようになれば、さらに大きな進歩です。話してみては間違い、間違ってはそれを訂正するという試行錯誤を重ねながら外国語を話す力は上達するものなのです。

2011年2月 著者

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Part 2 のはじめに

 英語表現を学ぶときには、その表現が使われる状況をふまえて学ぶことが大切です。なぜなら、どういう状況で誰と話すかによって、使う英語表現は異なるからです。たとえば “What’s your name?” は、取り調べの際に警察官などが使う表現で、威圧的な感じがします。初対面の人に、そういう威圧的な表現を使ったとしたら、どうでしょうか? なんだか怖い人だと思われるかもしれないし、あるいは失礼な人だと思われるかもしれません。初対面の人にはこちらから自己紹介をすれば、相手も同じように自己紹介をしてくれるはずです。自分は名乗りもしないのに「名前は何?」と、いきなり威圧的に相手の名前を尋ねるのは失礼です。言葉はマナーに則って使うべきもので、言葉を学ぶなら、そうしたマナーとともに学ぶべきです。

 日本人は日本語を学んでいる外国人に「日本語は難しいでしょう。特に敬語はね」とよく言います。確かに、敬語は日本社会の人間関係を如実に映し出す言葉で、それを知らずして日本社会の人間関係を理解することは難しいでしょう。では、日本語以外の言語は人間関係を無視して話されているのでしょうか? そんなことは、ありません。どんな言語でも、人間同士がコミュニケーションをとるのに使う言葉には話者の人間関係が反映されているはずです。

 英語を話している人たちは、自分より年上か、年下かということを日本人ほど意識しないで話すので、敬語にあたる言葉はありませんが、親しい人に話すときとそうでない人に話すときでは、明らかに言葉遣いが違います。親が命令口調で子どもを躾けることは多いかもしれませんが、友だちに対して常に命令口調では嫌われてしまいます。親しい友だちとは、気を使わずに率直に話すのが普通です。でも、たとえ友だち同士であっても、何かお願いするときは気を遣って少し丁寧な言葉になることもあります。どういう状況で誰と話すかによって、使う英語表現は異なるのです。したがって、英語表現を学ぶときは、その状況や人間関係を把握したうえで、その場にふさわしい英語表現を学ぶ方が、よりよいコミュニケーション術を身につけることができます。

 また、状況をふまえて学ぶと、同じような状況になったときに、学んだ英語表現が口から自然に出くる確率が高くなります。これは、スポーツ選手が試合の流れをイメージしてトレーニングすると、実際の試合のときに実力を発揮できるのに似ているかもしれません。あるいは、役者の舞台稽古のようなものかもしれません。セリフを暗記しただけで、いきなり舞台に立ってすばらしい演技のできる役者はいません。それと同じように、英語表現を暗記しただけでは、それらの表現を実際の場でうまく使えないのではないでしょうか。

 ですから、読者の皆さんも登場人物の置かれた立場や気持ちを理解し、会話の状況をよくイメージしながら、英語を練習してください。タケシや他の登場人物になったつもりで声に出して言ってみてください。イメージトレーニングが十分にできていれば、話すときの不安やプレッシャーも、きっと和らぐはずです。ぜひ試してみてください!

2011年1月 著者

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Part 1 の はじめに

 外国語を話す力は以下の過程を繰り返しながら上達していきます。

1. 語彙、表現、話すときのルールを覚える(Input)
2. 覚えた語彙、表現を使って話してみる(Output)
3. 話したときにしてしまった間違いを訂正する(Correction)

 外国語を身につけるために、まずは必要な表現を覚えなければなりません。頭の中にない言葉が口をついて出るというような奇跡が起こることはないのです。覚えたら、次はその表現を使うことです。使った表現は自分の言葉になりますが、使わない表現は忘れてゆきます。必要ない知識がいつまでも頭の中にとどまっていることはないのです。ですから、覚えた表現は間違いを恐れず、どんどん使うことです。

 覚えた表現を実際に使って話してみると、多くの間違いをすることに気づくと思います。母国語を話すときはあまり間違えないし、間違ったとしてもたいてい気づいて言い直すのに、外国語を話す場合は誤りに気がつかないこともあれば、よく知っている言葉でも、英語表現が口をついて出てくるときに間違った形を言ってしまうこともあります。外国語を話すときは、母国語を話すときより間違える頻度が高くなるのです。

 そこで必要なのが話すときのルール。ルールを知っていれば誤りに気づき、どのように訂正すべきかがわかります。ルールを知らないまま語彙だけを増やしても、いつまでも同じ間違いを繰り返す、いわゆる「外人しゃべり」になります。たとえば、日本語を話す外国人の中にみられるような「あの赤いの花、きれいなねぇ」というような話し方です。

 話すときのルールで代表的なものは文法です。それ以外にも、発音やイントネーションなどの音声学的ルールや、この状況でその表現を使うのは失礼になるというような社会言語学的ルールがあります。そうしたルールを知り、話すときの自分の誤りに気づき、それらを訂正していくことで外国語を話す力は上達していくのです。
 ここまでに述べたことから、外国語を学ぶときのポイントを以下にまとめます。

・表現が使われる状況を把握して、暗記する
・表現を使うときのルールも、いっしょに覚える
・覚えた表現を使うように心がけ、間違いを恐れずに話す
・自分の誤りに気づいたら、言い直す
・状況にあう自然な表現を使うように心がける

 これらのことを心に留めて実践してください。世界に向かって情報を発信したり、交渉したりするような英語力を身につけるための手がかりとして、本書が読者の皆様のお役に立つようなことがあれば、それは私にとっても大きな喜びとなることでしょう。

2010年11月 著者


著者より:

このブログを書き進めることができず、放置してしまいました。これよりあと、電子書籍「マイクの友だちと家族」「タケシの留学」の「はじめに」のセクションに書くことをそのまま掲載していくことにしました。これ以前とは文体が変わってしまいますが、そのまま掲載させていただきます。

ここまでおよみくださり、ありがとうございます。よろしければクリックお願いいたします!
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6.“A or B?” “A (名詞), please.” : イントネーション

まず、前回の上昇調イントネーションの復習をしよう。上昇調のイントネーションは、主に判断を相手にゆだねるときに使い、なだらかに上昇することが特徴である。トーンが上がり始めるのは文末、あるいは句末の文強勢のところである。すなわち、文末や句末の内容語のアクセントの位置からトーンが上昇し始め、文末や句末にかけて徐々に上がっていくのが上昇調イントネーションである。

それでは、下降調イントネーションとは、どういうものだろうか? 
*文を言い切って、そこで文が終わることを告げる。
*自分の意志をはっきり伝える。
*新しい情報を相手に伝える。
日本語なら「です」「ます」「だ」などの助動詞が担う働きを、英語では下降調イントーネーションが引き受けていると言ってよい。その音の特徴はトーンが急降下するところにある。トーンの変化する位置は、上昇調と同じく文末や句末の文強勢のところ、すなわち、文末や句末の内容語のアクセントの位置である。

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5. May I have your name, please? : イントネーション

“May I have your name?”のイントネーションが上昇調であることは説明するまでもない。では、それに“..., please?”がつくとどうなるのか? コンマの前でトーンが上がるのか、下がるのか、コンマの後の “please” は上昇か、下降か、あるいは他のパターンなのか? 突然、こういう質問を受けて戸惑った経験はないだろうか? 英語を教えているネイティブ・スピーカーにイントネーションの質問をすると声に出して言ってみてから答える人が多い。母国語なら意識せずにイントネーションを操り、意思を伝えているからである。

ところが、外国語として英語を学ぶ者にとって、特に初心者にとっては、“..., please”のイントネーションにパターンの違いがあるのは不思議に思えるのである。こうした初心者の質問に答えて、基本的なイントネーションのパターンを説明することは大切かもしれないと思うようになった。音声を何度も聞いてイントネーションが分かったつもりでも、いつのまにか不自然なイントネーションで話していて、意図するのとは違うトーンになってしまうことがあるからである。基本的なパターンを理解していれば、音声を聞いて練習するときに注意するべきポイントがわかり、そうしたトーンの変化(悪化)を防ぐことができる。

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4. May I have your name, please?

初対面のときに"What's your name?"と質問することはないが、日常生活において、名前を尋ねなければならないことはある。そういうときは、どういう表現を使うのか?

受け付けなどの際に名前を尋ねるときには、“May I have your name, please?”という表現をよく使う。それほど丁重な感じはしないが、失礼な感じのしない “Your name, please?”という表現もよく聞く。

電話口では“May I ask who's calling, please?”「どちら様でしょうか」と尋ねることもある。もっとも、名乗らずに電話してくる相手は、いたずら電話など失礼なこともあるので、その場合は、こちらからの怒りを込めて “Who's this?”と尋ねる。

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3. What's your name? : 状況とイントネーション

対等な人間関係の場合、初対面のあいさつでは、こちらが名乗れば相手も名乗ってくるのが普通である。初めて人と会う場面では、“What's your name?”と質問する必要がないのである。

“What's your name? (下降調イントネーション)”と尋ねると、尋ねる側が尋ねられる側よりも優位にあり、威圧的な印象を与えるということを前回に書いた。ところが、この表現のイントネーションを上昇調にすると威圧的な響きを消すことができる。 上昇調のイントネーションには、相手に判断を求めて尋ねる働きの他に、話者の口調をやわらげる効果もあるからである。

したがって、迷子の子どもに対して、“What's your name? (上昇調イントネーション)”と 大人が尋ねることはありうる。尋ねる側と尋ねられる側が大人と子どもという対等でない人間関係であることに変わりはないが、上昇調のイントネーションにすることで、下降調のときの威圧感は消えて、子どもに助けをさしのべようとする優しい大人の気持ちを伝える口調になる。

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2. What’s your name?:初対面では使わない表現

マイク、初めて先生に会う
自己紹介は 年齢を問わず自分も相手も対等な人間として認め合う機会である。自分の名前を名乗り、相手の名前を覚えるだけではない。よい印象を与え、相手に自分を売り込むチャンスでもある。

ところで、英語会話を教えるテキストの中には、初対面の場面が次のような会話で始まるものがある。
A: What’s your name? (下降調のイントネーション)
B: My name is Taro Yamada.

この場合、AとBは対等な関係ではない。Aの方がBより上の立場である。主人と奴隷という関係が存在した時代にさかのぼれば、初対面でこういう会話も存在したかもしれないが、現在、こういうやりとりが考えられるのは、警察官と取り調べを受ける側の会話ぐらいだろう。“What’s your name?”は、それほど威圧的な響きを持つ表現なのである。

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1. 英語学習の回り道

時代の流れが英語でコミュニケーションをとれる日本人を育成しようという方向に向かっている。取り残されまいと頑張る子どもたち。頑張ってよかったと言えるときがくればいいなと思う。頑張りがいがあればこそ、さらに前に進もうと力が湧いてくるものだ。

しかし、努力は本当に報われるのか? 英語学習の道は必ずしも英語でコミュニケーションできる技能を獲得するというところに通じていない。そこに到達するまでに多くの回り道や迷い道があるように感じる。迷い道に入り込んで抜け出せなくなったら、努力が水の泡という可能性もある。

中学、高校の教科書で学んできた英文法は英語を理解するのにも、英文を書いたり話したりするのにも大変役立っていると自分は感じている。学んだことが無駄だったなどと言う気は全くないが、ただ、学校で学んだ英語表現と実際の場で使う英語表現が違うと思い知らされたことは多い。状況に応じたふさわしい表現があるのに、その状況にピッタリではない別の表現を覚えていたのである。自分の気持ちを伝えるこの表現を知るまでに回り道してきたものだと様々な機会に感じてきた。

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